【体験談】まさか自分がうつ病になるなんて

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【体験談】まさか自分がうつ病になるなんて

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まさか自分がうつ病になるなんて

まさか自分がうつ病になるなんて

まずは、私の簡単な自己紹介をさせて下さい。

工業高等専門学校を卒業した後、建設業を営む県外の中小企業へと入社しました。社会人として、慣れない環境、慣れない人付き合いなどに日々苦戦しながらも、それなりに充実した日々を送っていたかと思います

入社して数年も経てば、ある程度仕事にも慣れ、上司や同僚、お客様含め、様々な立場の方と接点が増えていきました。後輩もどんどん増えていき、仕事が楽しいと心の底から思ってい時期もありました。

入社して10年目を迎えた頃の社内異動から、私の人生は大きく思ってもいない方向へ舵が切られていくことになります。長くて終わりの見えない生活が始めることとなりました。

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体調の変化と考えの変化

体調の変化と考えの変化

異動して1,2か月経った頃、ある程度職場に慣れてきたなと思っていた矢先に、ちょっとした違和感を感じるようになってきました。会社へ出ても、やる気が出ない、調子が悪い、最初は誰にでもあるような出来事です。

そんなこと誰にだってありますし、私も何度も経験してきたことなので、特に気にしませんでした。しかし、いつまでたってもそんな調子が続いていました。熱があるわけでもなく、風邪を引いた訳でもなく、身体には何一つ症状はありません。

そのため、普段通り会社には出社し続けていました。周囲の人に相談することもなく、そのうち良くなるだろうと自分で思い続けていました。

そのうち、仕事の物忘れや仕事の進め方が気になり始めました。以前やったことのある仕事のやり方が分からなくなったり、ペースが遅くなってきたのです。

気付いた時には、仕事がどんどん溜まり、どうしようもない状況に。

絶対に何かおかしいと思った時には、会社を仮病で休むことが増えていきました。調子が悪いから休むとは言えずに、頭痛、風邪、腹痛などと、嘘をついていました。

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出社不可

そしてついに・・・

休みがちになる頃には、周囲の人も大丈夫かと心配しれくるようになり、とても気遣ってくれたのを覚えています。しかし、症状は良くなることはなく、溜まった仕事を進めようにも、進め方が分からない。どうしていいのか分からない。何をしていいか分からない。数値のチェックや集計作業もできない。

正常時には考えられないような状態とになりました。

頭が常にパニックに陥っている状態、思考がまとまらなくなりました。そして、2月に仮病で休んだのをきっかけに、どうしても会社へ行くことができなくなりました。

会社を休むためには理由が必要です。毎朝上司に電話で「体調が悪いです」「眠れずに、ずっと熱があります」「だるくて頭痛がします」「下痢と熱がひどいです」様々な良い訳を考えて連絡しました。私が上司の立場だとしたら、始業前の時間に毎朝電話が掛かってくるだけで嫌になってたと思います。

連絡するだけして会社へ出勤しない自分も、申し訳ない気持ちでどうにかなりそうでした。そんな状状態がしばらく続いたため、会社のほうもなにかしらの対策が必要だと考えたのだと思います。

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特に辛かったこと

特に辛かったこと

特に辛かったことが2つありました。

1つめは、睡眠が全くとれなかったことです。

ベッドから起き上がる気力もなく、起き上がったとしてもなにもすることができない状態でした。そのため、永遠とベッドで横になっていましたが、寝るわけでもなく、頭の中がずっと騒がしい状態でした。

2つめは、思考がまとまらないことでした。

物事を理解することができませんでした。誰かの話を聞いても内容が理解できず。理解できないからこちらから話ができないでいました。会社を休む前は、普段と比べて会話の数も相当減っていたかと思います。

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病院を探す大変さ

病院を探す大変さ

まず自分の症状をネットで調べてみました。うつ病、統合失調症、自律神経失調症、若年性認知症、その他様々な病気や障害になったのかと思うようになりました。しかし、その時の私にとってはその事実は受け入れ難く、健常者でいたいという思いがとても強かったのを記憶しています。

まず初めに、若年性認知症を疑いました。どうしてもうつ病や統合失調症でありたくないとの思いからだったと思います。そこで脳神経内科を受診し、症状を伝えました。

結果、MRIは取ったものの、特に悪いところもなく、認知症ではないかと真剣に話したところ、鼻で笑われました。とてもショックだったのを覚えています。会社に精神科を勧められたこともあり、勇気を振り絞って心療内科・精神科を受診しました。

最初の病院では、生きていればそんな時もあるさくらいの感じで、特に何も解決しないまま病院を後にしました。自分が何に苦しんでいるのか分からないままでした。他の病院を探していたころ、会社から連絡があり、休業手続きをする為の診断書が必要とのこと。

その後、受診した病院で、「うつ病」という診断を受けました。診断を受け、もしかしたらほっとした気持ちに一時的になったような気がします。

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うつ病と向き合う

まさか自分がうつ病になるなんて

自分がうつ病であると診断されたにも関わらず、心のどこかでまだ認めたくない自分もいました。自分はうつ病なんかではない、健常者でいたいと強く思ったことを覚えています。この段階になった頃、誰かと会話をすることができない状態になりました。

誰かと会話する時、相手の言葉を理解し、頭の中で考え言葉にします。その繰り返しをして会話は成り立ちます。しかし、相手の言葉が理解できないため考えもまとまらず、発言ができませんでした。そんな状態と同時に、睡眠障害も起きていました。

私の場合は、眠たいという欲がなくなり、全く眠れなくなったのです。24時間起き続けても眠くならず、1時間眠れてもすぐに覚醒してしまう日々を繰り返していました。睡眠が満足に取れないため、生活リズムが大幅に崩れました。

また、精神的な症状として、あらゆる欲求がなくなっていきました。人間は欲がなくなると何も行動ができなくなると実感しました。何かをしようとする時、何かしらの欲があって初めて行動できると思います。私の場合は「食欲」だけは残っていました。

あらゆる欲がなくなった中で、唯一の快楽ともいえたと思います。その結果、昼夜問わずコンビニに行って総菜やお弁当を食べまくることを繰り返す。それだけが唯一生きていると感じることができたのだと思います。

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実家に帰省する

実家に帰省する

診断書を提出してから数か月が経つ頃、会社の上司と面談している際、両親には伝えたのかと尋ねられました。両親には心配を掛けたくないとの思いから、伝えていませんでした。会社側から伝えるべきと強く言われたため、私は仕方なく両親と連絡を取りました。

両親に伝えたことを会社に報告すると、実家に帰って休養するように提案をされました。心配を掛けるから帰りたくなかったのですが、これまた会社側から強く言われたため、仕方なく帰ることになりました。今思い返すと、両親と共に過ごすことで、症状は改善に向かったような気がしています。

両親の存在はどこか大きく、精神的になにかが軽くなったような気がしています。親に心配を掛けたくないと、実家に帰りたくないうつ病の人も多いかもしれません。家庭環境にもよりますが、勇気を出して実家に帰るのもひとつの手だと思います。

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復職への道のり

復職への道のり

ある程度落ち着いてきた頃、そろそろ復職できるかなと考え始めた頃、一般的に回復期と呼ばれる頃だったと思います。会社を休み始めた頃のような激しい症状は出なくなり、自分自身で分かるくらい改善してきました。

簡単なコミュニケーションなら難なくこなせるようになってきました。実家には3週間ほど滞在し、それからは会社の寮で生活をしました。何年も付き合いがあり、気兼ねなく話せる寮母さんの存在も大きかったような気がします。心許ないお金で、パチンコやスロットに出かけ、一喜一憂する感情を取り戻したことに、感極まりそうになったこともありました。

会社との面談も定期的に行われ、症状が改善してきていることを伝えました。ある日、会社と面談をしていると、そろそろ復職してみないかと提案がありました。復職していざ会社に行ったとき、どんな顔をして、どんなふうに同僚や先輩後輩と話しをしていいのか、全く分からなかったため、正直行きたくなかったです。

話の流れで復職の日が決まると、そわそわと落ち着かない日々が続きました。

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復職の日

復職の日

ついに復職の日を迎えました。どんな顔をしていいのかずっと分からず悩んでいましたが、時間だけが過ぎていきました。頭が真っ白になったまま服を着替え、車に乗り込み会社へと向かいました。

着いたあとの駐車場からロッカールームまでの道のり、誰にも会いたくないなと思いちょっと早めに出たことを覚えています。奇跡的に誰にも会わずに、自分の机に到着することができました。あとは、人が来るのを待つだけです

そして、以前と変わらずに接してくれる同僚や上司、私のことを労わった言葉を掛けてくれる人達だいました。人の優しさと有難みさが身に沁みました。

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絶好調な日々が続く

絶好調

復職したての頃はまだまだ本調子とはならず、辛かった記憶もあります。何度も経験していたはずの業務ができなかったり、体調が悪くなって午後から帰らせてもらったことも何度かあります。心ない人から、心ない言葉を掛けられたこともありました。

時折心が折れそうなこともありましたが、優しい人達に囲まれて仕事をしていくうちに、そういったことも徐々に減ってきました。数か月もすれば、いつもと変わらない程度にまで復帰することができて、働く喜びを噛みしめていました。

それどころか、今までエネルギーを貯めていたおかげか、仕事がどんどん捗り、人と会話するのが楽しくて、バイタリティ溢れるようになっていきました。ですが、これが再発への第一歩でした。

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結婚

結婚

絶好調の日々を送り、公私共に充実した日々を送っていました。普段しないような仕事も進んでこなしたり、組合行事などにも積極的参加するようになりました。毎日とても疲れましたが、何一つ不自由ない生活を送っていました。

丁度その頃、うつ病の時から付き合っていた彼女とも結婚することができました。新型コロナの影響で挙式は挙げずに入籍しただけですが、幸せを感じていました。彼女は、私がうつ病に掛かった時も温かく見守り続けてくれた、大切な存在です。引っ越しも済ませ、これからが楽しみな時期となるはずでした。

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うつ病の再発

絶好調がある程度続いていく中、私は不満を募らせていました。私が思うように仕事が進まない、会社の悪いことろがなんでそのままなのか、なんで自分だけこんなことをしなければならないのかなど、何に対しても不満を感じていました。

そして、大きな仕事を終えた頃から、少しずつ体調に変化が起きてきました。最初は、大きな仕事を終わらせたことによる気の緩みかなと思っていました。やる気がでなくなり、脱力感に襲われていました。しかし、一向に良くなる気配がなく、日に日にそれは悪化していきます。会社へも行く気力がどんどん薄れていき、仮病を使って休むことも増えていきました。

仕事はたくさんあるから、やらないといけないとなんとか働いていましたが、出社するのにも精一杯になっていきました。思考もまとまらなくなり、何がなんだか分からなくなっていきました。

もう限界。ある日上司に連絡しました。しばらく休ませてくださいと。妻にも、ちょっと体調が悪くてしばらく休むと。

そこから、再発との闘いが始まりました。

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急性期

急性期

やはり私の場合、頭の中がパニックとなり、なにかを考えることができない状態となりました。なにかする時は、脳を介さずに反射でこなしていたような感覚でした。ずっと頭の中間部くらいにもやが掛かっているような感覚です。

会社を休ませてもらうためには、手続きだの面談だので拘束されていた気がします。たったそれだけでもかなりの負担を感じていました。2か月もすれば、そういった手続きや話をしなくても良くなり、やっと落ち着けるような状態となりました。

何をしていて過ごしていたかというと、何もせずただただ時間が経過するのを待つ、半年間もの間、廃人みたいな生活をしておりました。ただ、妻が誠心誠意介抱してくれていたため、なんとななったような気がします。

ですが、地獄のような日々でした。

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回復期

回復期

急性期のようなひどい状態が治まってきて、少しずつ考えたり、家事ができるようになってきました。しかし、1日行動して2,3日ぐったりするなど、波が激しかったのを覚えています。そんな状態が数か月もすれば、行動できる幅も広がり、ぐったりとすることはほとんどなくなっていきました。

体調が良くなってくると、時間を持て余すようになっていきました。ですが、何かしたいけど何もすることがないし、お金もあまり使いたくなかったため、悶々としていたような気がします。

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リワーク支援と再復職

現在

会社との面談を続け、リワーク支援を受けなければ会社に復職はできないとの話をされました。リワークとは、何かしらの理由で会社にいけなくなった方を受け入れ、復職するまでのサポートをすることで、うつ病になって初めてリワークという言葉を聞きました。

体調は順調に回復していたため、リワーク支援施設で他の通所者とコミュニケーションを取りつつ、復職に必要な知識と能力を取り戻していきました。期間は半年間と長期に及びましたが、無事にリワーク支援から再復職までの過程をクリアしました。

2度目の復職だったためか、初めての頃よりはすんなり会社のほうにも出社できたと思います。

2019年にうつ病を発症し、2度目の復職が2021年の秋でした。それから2024年夏までの間は、きつく辛いこともありながらも、なんとか会社員生活を続けることができています。

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おわりに

如何でしたか?

この記事が、少しでも多くの人の参考になれば幸いです。

うつに関することを他にも発信していますので、良かったらご覧ください。

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最期まで読んで頂きありがとうございました。